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あい言葉は「La La La」

La La La♪〜てな感じで幸せに生きている僕(嫁タイ人、うつ病歴8年)の日記です。ANAスーパーフライヤーズ会員、JALグローバルクラブ会員、One Harmonyロイヤル会員としての旅行記、元気が出ない話、嫁の話、仕事の話などの日常の雑談を、曖昧な記憶を頼りに記述するブログです。

学生最後の日と社会人最初の日(10年前の話)

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僕は会社を辞めて、今の研究者の道に進んだ。でも、最近は調子が悪く、なかなか論文も書けないし、研究活動もしていない。勤務先の大学では卒業式が終わり、卒業生が期待と不安を抱えながら巣立っていった。ああ、僕にもそんな時があったなと10年ほど前の出来事を思い出してみた。

3月30日

僕は、地元から、就職先の名古屋へ向かった。

まず、名古屋で、名古屋の家の鍵をもらう必要があった。そして、引越しの荷物を運び入れる必要があった。

名古屋へ向かう新幹線を見送りに、父と母が一緒に来てくれた。

ちょうど4年前の大学進学の際にも父と母は見送りに来てくれたことを思い出した。その時の僕は不安より期待が大きくて、ワクワクしていた。スマホなんてない時代だから、世界がすごく広く感じていた。

そして、今日はその4年後な訳である。僕は大学4年間で色々学んだ。世界がそんな簡単じゃないことも知ったし、それ以上に世界が狭くなった。そのせいなのかワクワクする気持ちはほとんどなく、僕は社会に通用するのだろうか?という不安でいっぱいだった。

父親が、別れ際に、「そんな頑張らんでもいいからな」と言って送り出した。

窓から見える父と母は大きく見えた。やっと一人前に近付こうとしている僕と比べて、父と母は2倍は大きく見えた。

やがて、名古屋に到着すると、会社を訪問し、鍵を受け取った。見慣れない形の鍵で、セキュリティが強い鍵で、複製ができない鍵とのことだった。なので、なくすと、ドアの鍵を交換が必要で家賃の半月分だと聞いた。

名古屋の家は広かった。引越し屋が荷物を運びいれると、僕は大阪へ向かった。

実は、4~6月は会社の研修のため大阪のアパートに住むことになっている。そこの鍵も受け取る必要があるのだ。でも、そのアパートに入れるのは4/1からなので、鍵を受け取るだけである。

鍵を受け取ると、僕は京都に戻った。僕が4年間過ごした大切な街である。今日はどこも泊まる場所がないので、後輩の家に泊まった。その日は、遅くまで後輩と色々話をした。

3月31日

京都を朝早くたった僕は、東京へ向かった。東京行きの新幹線は、明日入社式を控えたであろう学生が山のように乗っていた。なんとなくその雰囲気に馴染めなかった。息苦しくて、4年間の大学生活が終わることが悲しくて仕方なかった。

その日は、会社が用意したホテルに宿泊することになっていた。2人一部屋で、大阪配属の新入社員と同じ部屋になった。彼は僕と同じ大学で、会話を少ししたものの、その後は二人ともずっと携帯を触って、やがて寝た。僕は、その時携帯に、ずっと、大学4年間が終わらないでほしいという切実な気持ちをひたすら記述していた。まるで呪いの言葉のように長々と。

4月1日

入社式はうんざりするものだった。寝ている人がいたらしく、途中で人事の人が厳しいコメントをしたり、会社のお偉いさんの長い講義があった。その内容は社会人はこうあるべきだとか、会社に利益をもたらす人材とか、そんな内容で、思ったより薄っぺらな内容だった。そんな入社式だったので、僕は本当に学生生活が終わったんだと実感し、失望した。

その後の懇親会とかもあり、社員の人はみんないい人ばかりで、いい会社に入社したんだなと思った。そのおかげか、ほとんど不安の中にも少しだけ期待を持って大阪のアパートに帰宅した。

大阪のアパートはその日がはじめての滞在日で、なんというのだろう、面白みのないマンスリーマンションだった。ここで3か月生活するのか。

この部屋に帰ってきて、すぐに母に電話をしたことを覚えている。

「今日入社式の後の懇親会で会社の人にあったけど、いい人ばかりだった。なんとかやっていけそう。」

本当にそう思っていたのか、親に心配させないようにそういったのか、わからない。

でも、1年半後、僕は限界を迎え、自分が会社を2年足らずやめるなんて思ってもいなかったな。

おしまい。

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