色盲色弱差別を煽られインチキ詐欺治療に騙された親と僕の話

いつもはほぼ旅ブログなこのブログですが、本当は日常生活であった出来事とか、昔の思い出とかを語るだけのブログの予定でした。なので、今回は昔の話をしようと思います。

僕が小学生低学年のときに受けた石原式色覚異常検査表にて僕は色覚異常であることが発覚します。当時は色覚異常とは言わずに、色盲とか、色弱と呼んでいました。

そして、当時、色盲・色弱による差別不安を煽って、色盲・色覚は治る!と宣言している病院に通院した話です。

自分が色覚異常だとわかってホッとした僕

検査にて、僕が色覚異常であるという事実を知ったとき、僕はすごく納得し、ホッとしました。

なぜなら、僕は色に対して苦手意識があったからです。

色の種類をあまり知らない

赤、青、緑、黄色、茶、オレンジ、ピンク、水色、肌色、黄緑、黒、黄土色。知っている色はこれくらいです。

紺色とか紫色なる色の存在を知ったのは、小学校入学後かなり後になってからでした。

今でこそ無限に色があることは知っています。HTMLで黒色は#000000、白色は#ffffffです。単純に、0〜9とA〜Zを使って6桁で色を表すのなら36の6乗色表せます。でも、そんなことは知りませんでした。色は上述した知っている色のみだと思っていました。

なので、小学校入学直後は、知らない色について話をするクラスメートに動揺したものです。また、今まで知らなかった色の鉛筆を突然使い出すのは、なんだか良くないことな気がして、知らない色をあまり使わずに生活していました。

もちろん、これらの行動は、色覚異常だったからではなく、12色鉛筆セットにそれらの色が入っていなかったから知らなかっただけ、僕は気が小さいのでちょっとしたことでも行動に移せなかった、などの他のことが原因であったと思われます。

天気が悪い日の絵しか描けない

図工の時間に絵を描いていると、先生やクラスメートから「あいこと君の描く絵はいつも天気が悪いね」と言われました。

自分としては、空の色と似た色を一生懸命探して、色同士を混ぜたりしているのですが、周りからは積乱雲が異常発達して今にも雨が降り出しそうな絵に見えていたようです。

この話も、別に色覚異常が原因ではなく、絵を描くセンスや配色のセンスが欠けていただけかもしれません。

でも、色や絵を描くことが嫌いだった僕自身は、検査結果とその内容について親から聞いた時に「あぁ、なんだ、そういうことだったのか」とすごく納得して、ホッとしました。

色覚異常差別で息子の将来を不安に思った親

当時はインターネットなんてありませんでした。正確にはありましたが、一般向けのサービスが始まったばかりくらいの頃です。

なので、どこから情報を得たのか全く知りませんが、親は保護者同士のネットワークを伝って、ある情報を手にします。

それが「色盲、色弱差別」と「色盲、色弱は治る」という、インチキくさい情報でした。今なら、インチキくささにすぐに気づくのですが、親は必死ですから、このインチキくさい情報を信じることになります。

色盲、色弱差別で大学に入れない、就職は断られる!?

もともと世間では色盲、色弱に対してはいい印象はなかったと思われます。

そのため、「色盲、色弱者は、大学入試で差別されて入学できない」とか、「就職差別もひどく、色盲・色弱かどうかのチェックが最初に行われる」などなどの情報が出回っていました。このあと出てくる病院でも、そういうチラシが配られたり、病院内では会長という方のテープ放送にて何度もその話が出てきました。

そして、僕の親はこの情報をかなり信じていました。

当時の僕の夢は「科学者になる」ことでした。家の本棚にある世界の発明家や研究者の本を何度も何度も読み、科学者になることに憧れていました(とは言っても、科学者が何をする人たちなのかはいまいちわかっていませんでしたが・・・)。

しかし、科学者になりたいという息子は色弱異常なのです。そして、情報によれば「色盲、色弱者は、大学入試で差別されて入学できない」そうです。確かに、科学者は実験の様子や結果を目で確認し、色の変化を把握したりするでしょうから、色覚異常者が科学者になる可能性は限りなく低そうです(念のため言っておきますが、色覚異常でも科学者にはなれます。現に僕は工学系の博士号を取得し研究員として働いています)。

色盲、色弱は治る!?

科学者になりたい息子、しかし、色覚異常なので科学者にはなれません。

しかし、安心してください。

「色盲、色弱は治る!」と言っている病院があったのです。

そんな病院について、どう思いますか?

「あぁ、よかった。治せる病院がある!」と思いますか?それとも、「えっ!?その病院インチキ臭くない?」と思いますか?

まぁ、普通だったら、後者ですよね。

しかし、僕の親は色覚異常が治れば、大学入学差別も就職差別もされずに済むと信じているので、前者を選択しました。僕対しても色覚異常は科学者になれないから、病院で頑張って治そうという話していました。

今でも忘れられない、初回治療時の僕の反応に喜ぶ親の顔

その病院は全国展開していたのですが、最も近かったのは博多だったので、博多の病院へ行きました。今はその病院もその建物もなくなり、新しいビルが建っているようです。僕の記憶では、今のJRJP博多ビルの1階南側にその病院はありました。

中に入ると、待合室があります。治療は1回60分ほどで、9時から治療の人、10時から治療の人という感じになっています。なので自分の治療時間になるまでこの待合室で待機します。

時間になると40〜60人くらいの患者さんが受付でチケットのようなものを渡して治療室に入って行きます。

治療室は、予備校の自習室みたいな雰囲気で、緑色をした自習机のようなものがたくさん並んでおり、患者さんたちは自分たちが選んだ治療コースを実施できる机に座り各自治療を始めます。

病院内は、病院の会長という方の啓発セミナーのような音声テープがずっと流れていて、異様な雰囲気でした。とても病院とは思えませんが、当時は何も思いませんでした。今だったら、カルト宗教っぽくて、一目散に逃げて帰ったと思います。

で、その治療なのですが、片方の鼻の中と首後ろに電極みたいなものを当てるというものです。電極を直に当てるのではなく、特殊な液体で濡らしたスポンジを通して当てます。

  • 右鼻と左首後ろ(15分)
  • 左鼻と右首後ろ(15分)
  • 左右のこめかみ(30分)

こんな感じで電気を流すような感じです。治療中は目を閉じるように言われていました。そっちの方が効果があるとかそんな理由だったと思います。

子どもだったので、どういう原理なのか、どういう理屈なのか、さっぱりわかっていませんでしたが、電気が流れているのだと思います。

なぜなら、かなり痛いです。針で刺されているかのように痛いです。そして、ピクピクと顔が痙攣するときがあります。

でも、僕も親も「最先端医学だ」と思っていました。

初めての利用の際に使用方法の説明を受け、いざ使う直前に、説明をした看護師さんらしき人が「治療が終わったら、周りが暗く見えると思う?明るく見えると思う?」と聞かれたのですが、質問の意図がよくわからず、僕は「(もう夕方だから、治療後は夜になって、外は)暗くなると思う」と答えました。でも、看護師さんが聞いたのは室内のことだったみたいです。

初めての治療は激痛でかなり辛かったですが、目を閉じて、なんとか1時間を終えました。目を閉じて1時間を過ごすと時間が過ぎるのがとても遅く感じられます。そして、とにかく痛いのです。でもなんとか1時間終えたのです。

そして、目を開けてみると・・・

僕「まぶしいい!!!」

まぶしすぎて目が開けられません。

僕「お母さん、めっちゃまぶしい。めっちゃ明るくなってる」

母「ほんと!よかったね。頑張ったから良くなったんだよ」と喜ぶ母。

でも、普通に考えればわかることですが、僕は1時間目を閉じていたわけです。もちろん、途中でときどき目を開ける機会はありましたが、最後の30分はずっと閉じていました。

なので、治療が終わった際に、突然目を開ければ、室内の蛍光灯でさえも眩しく感じるのは当然のことでしょう。

しかし、親は、「治療後は暗くなると思う」と僕が答えたのを聞いていますし、その僕が今は「めっちゃまぶしい。めっちゃ明るくなってる」と言ってるのです。

その時の嬉しそうな母の顔は忘れられません。「痛かったけど我慢してよかった」と思いました。

その後、効果はなく、やがて行かなくなったけれど・・・

小学2年生の途中から4年生の途中くらいまで、毎週日曜日の午前中はこの病院へ通院し、治療を受けることになりました。

僕は北九州市の小倉に住んでいましたので、在来線で片道1時間かけて親と一緒に通院していました。

結局、この病院の治療法には根拠はなかったそうで、僕自身も効果を感じることはありませんでした。

治療後に、石原式色覚異常検査表を使って、その日の効果みたいなのを自己確認するのですが、毎回その検査表を見るので、この病院に置いてあった石原式色覚異常検査表を暗記してしまいました。

親もそのことに気づいたらしく、途中からランダムに出題したりしてましたが、僕は「灰色の蜘蛛の巣みたいなやつは6」「オレンジ色の3で外が黄色に見えるやつは5」のような感じで覚えていたので、出題順に関係なく回答できました。

ただ、「じゃあ、文字をなぞってみて」と言われると、それはできませんでした。なぜなら見えていないので。

そんなこともあって、親もこの病院がインチキだったと思うようになり、通院回数が100回を超えたくらいで行かなくなりました。やがて、その病院自体が博多からなくなり、全国からなくなったそうです。

小倉-博多の移動費、治療は1回6千円〜1万円(記憶は定かでない)、結局これらの費用は無駄になりました。家族で集まったときなどに、この病院の話をすることは一切ありません。騙された額もかなりの額ですし、アンタッチャブルな歴史になっています。

でも、僕は毎週日曜日が大好きでした。親と一緒に電車で博多に行き、特急電車の連結作業を見たり記念撮影したり、博多駅の吉野家で牛丼を食べたり、ときどき長浜ラーメンを食べたり、福岡空港に連れて行ってくれたりと、毎週日曜日が楽しみでした。

おしまい。