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暇すぎた僕が熱中して読んだウィキペディア記事を紹介

年末年始の休みとか、ゴールデンウィークとか、そういう休みの正しい過ごし方を知らない僕はよく暇になります。

暇になると、Youtubeを見たり、Netflixを見たりするのですが、なかなか集中してみることができず、すぐに飽きるわけです。熱中するのにも力が必要なわけです。でも、暇すぎた環境に慣れすぎて、集中するための力が出ない。

そんな時に、ふとウィキペディアを読み出したら、どんどん熱中して読み耽っていました。そんな記事をいくつか紹介します。

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後南朝

ふと、こんなことを思ったのです。

あいこと
あいこと

南北朝時代は事実上北朝の勝利に終わり、今の天皇家も先祖を辿れば北朝だったよな。

南朝の子孫はその後どうなったんだ??

思い出してみても、南朝の子孫がその後どうなったかなんて話を聞いたことがありません。歴史の授業でも学びませんでした。

気になる気になる気になる気!!

ということで、「南朝 子孫」と検索すると出てきたのが、以下のサイトです。

後南朝 - Wikipedia

後南朝なんて聞いたことがありません。

南朝方も3つほど宮家があるのですが、それら宮家はことごとく出家させられたりと、断絶に向けて着々と対策をとられたそうです。

そして、南北朝合一後は北朝と南朝が交代で天皇になる決まりは反故されます。

その結果、南朝方はしっかり抵抗運動をしていたそうです。その抵抗した人々を後南朝と呼ぶそうです。そして、後南朝の話は西陣南帝まで続きます。

西陣南帝

南北朝が統一された70年後くらいに応仁の乱が起こります。この応仁の乱では、将軍や公家が東軍を味方したそうです。そこで、西軍は南朝の子孫を担ぎ出し、西軍の盟主としたわけです。

ですが、応仁の乱はとにかく訳がわからないくらいにぐちゃぐちゃしていて、昨日の敵は今日の友になって、また敵になって、みたない感じなので、この西陣南帝はすっかり忘れ去られました。ちゃんちゃんという感じみたいです。

こんなことになるんだったら、南朝方の人々は和議なんか結ばずに最後の最後まで抵抗した方がよかったと悔しがったことでしょう。粘り続ければ、今の世でも南朝方の子孫が天皇は無理でも王や公として継承できていたかもしれません。

今、皇位継承に関して色々な問題が指摘されていますが、南朝の子孫が残っていれば、「南朝の王に皇族へ復帰してもらおう!」という考えもありだったかもしれません。

西陣南帝 - Wikipedia

応仁の乱

後南朝の話でも出てきた応仁の乱ですが、これは寝られない時に読むことをオススメします。

歴史の授業では、将軍家の後継者問題で起きた乱と習ったのですが・・・。いや、全然違うよね!!!

もうなんと言えばいいですかね。

勝手にやってくれ・・・。

登場人物が多すぎるのもしんどいです。

保元の乱なら、天皇家、藤原家、源氏、平氏くらいの人たちしか出てきません。

でも、応仁の乱は、登場人物が多い。しかも、同族の場合、漢字一文字が同じであることが多いので、みんな似たような名前。

読んでいる途中で、何度も何度も「あれ?この人は東軍だっけ?」とか、「さっきこの人もう出てきたっけ?」とか、そんなことに遭遇しました。

あいこと
あいこと

もういいや、誰が誰と戦おうが。今の情勢とは無関係だし。

気づいたら、寝ていました。

応仁の乱 - Wikipedia

北条早雲

翌日

応仁の乱の次ということで戦国時代の記事を読み漁っていたのですが、関東地方での戦国時代と言えば北条早雲でしょう。

あいこと
あいこと

伊勢の浪人の伊勢新九郎が一国一城の主どころか、関東地方の有力大名になる!

すげえなぁ!!!

と思っていませんでしたか?

僕はそう思っていました。北条早雲は出身もよくわからないような人だと思っていました。そう習いました。

しかし、これはどうやら違うそうです。

読んでびっくりしたのですが、幕府のちゃんとした仕事をする一族の1人だったそうで、下克上だと思っていた出来事もそうではなかったという話もあるとか。

僕の知っている北条早雲と全然違うくてびっくりしました。

北条早雲 - Wikipedia

丹羽長秀

ご存知、織田信長の重臣です。羽柴秀吉と名乗った秀吉の羽柴の羽は丹羽長秀の羽です。柴は柴田勝家の柴です。

さて、丹羽長秀ですが、重要な局面で登場する人ではあるのですが、そこまで存在感はありません。

ですが!その死に関して、めちゃくちゃ興味深いんです。

人の死を興味深いと言うとよくないことですが、すごいんですよ。

簡単に言うと、寄生虫が原因で死ぬのですが、その寄生虫を自分で殺そうとしてお腹に刀で刺したとか、寄生虫の苦しさから逃れるためにお腹に刀を刺したとか・・・色々話があるようです。

さらに、その寄生虫のその後が「えっ!?何それ・・・」という展開で・・・。

当時の映像とか見たい!けど、400年前なので映像はないです。

丹羽長秀 - Wikipedia

足利義昭

そんな丹羽長秀がいた安土桃山時代。せいぜい30年なのに、安土桃山時代と名付けられているほど、日本は劇的に変わった時代だったのだと思います。

さて、この時代。ご存知の通り織田信長No1時代です。当時はどうだったか知りませんが、今振り返ってみても織田信長No1です。

その織田信長は足利義昭を将軍にしますが、その足利義昭が織田信長をやっつけようと頑張り、織田信長に追放されて室町幕府は滅びます。

とか言ってたら、本能寺の変で織田信長が殺されて、時の権力者はなんやかんやで豊臣秀吉に。そして、秀吉は近衛家の養子になって関白になり、日本のトップへ!!

さて、足利義昭は元将軍?いや、当時も将軍?よくわからないですけど、なんか気まずくないですか?

俺!関白!日本の最高指導者!!

俺!元将軍!!清和源氏の足利将軍家の人間・・・

足利義昭の人生、気になりませんか?

足利義昭 - Wikipedia

市中引き回し

南北朝時代から読み進めたウィキペディアは江戸時代に突入します。

島原の乱とか、キリスト教弾圧とか、鎖国とか、そういうのを読んでいて出会ったのが市中引き回しの刑です。

市中引き回しってどんな刑だと思いますか?

こんな刑罰だと思いませんか?

取調べで弱ったところで馬に縄で繋がれて、馬が鞭を打たれて走り出す。繋がれた人間は市中を馬に引きづられて、身体中傷だらけに。

もしくは、右足を一頭の馬に、左足をもう一頭の馬に縄で繋いで、鞭で打たれた馬が別々の方向に走り出す。そうすると体が・・・・。市中では多くの見物人がそれを眺めている。

違います。

市中引き回しの刑は、それ単体の刑ではなくて、セットで行われるものだそうです。

市中引き回しで一番印象に残っているのは、授乳している婦人の話、お化粧の話などです。江戸時代の世論を幕府も真剣に考えて刑罰を執行してたんですね。

市中引き回し - Wikipedia

八丈方言

刑罰の話をたどっていると、島流しの話になり、気づいたら八丈方言という話にたどりつきました。

消滅危機言語の危険に分類されているそうです。

八丈島に島流しにあった人の言葉もこの地域の言葉に影響をしているかもとのことで、公家言葉とも通ずるものがあるそうです。

京都に10年以上住んでいる僕はこう思いました。

あいこと
あいこと

公家といえば京都!

ほぼ京都人の僕からすれば、八丈方言も簡単に理解できるだろう。

字幕は見ずに聞いてください。

わかりましたか?

僕はぜんぜんわかりませんでした。知らない言語と言ってよいくらいにわかりませんでした。

それと同時にワクワクしました。八丈島なんて、すぐそこにあるんですよ。飛行機ですぐに行ける場所です。そんな場所に知らない言葉があるんだ!!!海外に行くことも大事だけど、国内でもこういう知らないことがあることを知りました。

以後、僕はほぼ毎日、日本の方言や絶滅に瀕した言語のYoutubeを見ています。

日本のことだけど知らない。まだまだ知らないことがある。なぜこんなにも惹かれるのかわかりませんが、すごいことだと思います。

妻の母の家族も母国語はタイ語ではないそうで、でも母はそれを教えてくれないそうです。だから、妻の家族では母の世代でその言語の継承は終わることになりそうです。

残ってほしい。どうすればいいのかわからないけど、残ってほしい。

八丈方言 - Wikipedia

さんか

刑罰の話を読んでいた流れで出会った記事です。さんかは差別用語として使われることもあるそうですが、そもそも僕はこの言葉を知りませんでした。

で、さんかって何?

日本の放浪民族です。戦後に本州には1万人いたとか。

あいこと
あいこと

馬鹿な。そんな人たちがいるか?聞いたことないよ!!

そうなんですよね。聞いたことないから信じられません。

記事自体も面白いですし、「過去に戻ってインタビュー調査とかしたい!」と思えるほど僕の好奇心を掻き立てました。

あいこと
あいこと

みんながみんな電車に乗って通勤する世界なんて嫌だ!!放浪する人々がいたっていいじゃない!!

でも、都市伝説みたいで信じられない。

サンカ - Wikipedia

孫太郎

海外に行ったことない人はまだまだたくさんいることと思います。

10年前なら海外に行った人なんてもっと少ないですし、50年前なんてもっともっと少ないです。

じゃあ、孫太郎が生きていた250年くらい前、海外に行く人はどれくらいいたのでしょうか?

って、鎖国政策で事実上皆無です。

でも、孫太郎が乗った船が遭難して現地民族に襲撃され捕獲され、奴隷として売買され、首切りの儀式に使われないように頑張り、日本から遠い場所で暮らし、信頼を勝ち取り、知恵も働かせ、なんと、なんと、日本に帰ってくるのです。

200年も前の話ですよ。もし飛行機があるのなら、孫太郎と主人とを再会させてあげたい。

孫太郎 - Wikipedia

奴隷つながりですが、大蔵大臣として有名な高橋是清も奴隷としてアメリカで働いていたそうです。

高橋是清 - Wikipedia

臼井六郎

とか調べていたら江戸時代は終わりを迎えます。

明治になるんです。

江戸時代は仇討ちOKな時代です。

有名な仇討ちといえば、曽我兄弟の仇討ち、赤穂浪士の仇討ちなどありますが、歴史上最後の仇討ちとされる事件を起こしたのがこの臼井六郎です。

簡単にサクッとマルっと説明すると、親が江戸時代に殺されたものの当時子どもだった彼は仇討ちできず、明治に時代が変わり、仇討ち禁止になってから仇を打ったのです。

臼井六郎 - Wikipedia

まとめ

Wikipediaは面白い記事がいっぱいあって、暇つぶしにはもってこいですね。

その他にも、関連項目を読み進めたので3日間くらいWikipediaを読み続けていました。

寄付しようかな。

おしまい。

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あい言葉は「LaLaLa」